「特集 つながる、つがる」夏の終わり・収穫を控えたつがる市を巡るルポルタージュ

人も、自然も、厳しいから暖かい。

人も、自然も、厳しいから暖かい。

太宰治が『津軽』の中で、津軽人の来客に対するてんやわんやの饗応ぶりを活写し、「"津軽人の愛情の表現は、少し水で薄めて服用しなければ、他国の人には無理なところがあるかも知れない"」と書いている。
そして、「"生粋の津軽人というものは、ふだんは、決して粗野な野蛮人ではない。なまなか()な都会人よりも、はるかに優雅な、こまかい思いやりを持っている。その抑制が、事情に依って、どっと堰を破って奔騰する時、どうしたらいいかわからなくなって"」狂おしいばかりに胸を高鳴らせるのだ。

なんとよく似ているではないか。
風と雪に閉じ込められた長く厳しい冬が去り、菜の花やサクラやリンゴの花が「どっと堰を破って」咲き競う春の到来に。あるいはまた、岩木川の度々の氾濫に辛酸をなめながらも黙々と新田を開墾してきた農民が、夏のほんの数日だけネブタ祭りや火まつりでハジケル様子に。
厳しい自然の前にうずくまる時間が長ければ長い分だけ、収穫の喜びは大きく、津軽人は高く熱く舞い上がるのだ。  なまなか・・・中途半端。なまはんか。
人も、自然も、厳しいから暖かい。 ねぷたや馬市まつりなど、地域全体を巻き込んだ祭りでハジケル。 人も、自然も、厳しいから暖かい。 厳しさの中でもたらされる実りが、つがる人の胸を高鳴らせる。
ページトップへ